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4月27日(金)2007年
第212号 「越の国」のルーツとは

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4月27日(金)2007年

第212号 「越の国」のルーツとは



 こんにちは、開運なびです。


 ゴールデンウィーク目前の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、前回のメルマガで「新潟の糸魚川付近は、古代は神仙境と見なされていたかもしれない」と書きましたところ、読者の方から「越の国についてこんな話もあります」というメールを頂きました。

 新潟にお住まいのハンドルネーム、ふくふくちゃんからで、とても興味深い内容ですので、今回ご紹介させて頂くことにしました。
  ↓



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(ふくふくちゃんから頂いたメール)


今日は「今週の開運ツボ」第211号の「越の国」について、
ちょっと聞いたことをお伝えしたくてメールいたしました。
もしかしたらご存じかもしれませんが・・・。

環境考古学者の安田喜憲さんという方がいます。
この方の研究で興味深いことを知りました。

中国の長江の中流域では1万年以上前から稲作が始まっていて、
その人たちを安田氏は稲作漁撈民と呼んでいるのですが、
約6000年ぐらい前に長江文明が始まりました。

長江文明は玉を崇拝していたそうです。

4200年ほど前に大きな気候変動があって、
西のほうから、パンを食べて羊やヤギを飼う畑作牧畜民の大移動があり、長江に入ってきて長江文明が崩壊しました。

そのとき長江の下流域に住んでいた人たちが、
ボートピープルとなって日本に移住してきたそうです。
そして北陸地方に住みました。

長江下流域は越の国と言われていて、後の呉越国とも関係があるようです。
「越」の国の人が移り住んだ地域という意味で
越中、越前、越後、と「越」がついた名前になったそうです。

もちろん九州地方に移住した人がたくさんいたのですが、
なぜ北陸地方が選ばれたか?

それはやはり玉と関係があります。
北陸地方の白山、立山、姫川(糸魚川)の流域では素晴らしい玉が出ることを、古代の長江流域の人は知っていたようです。

立山の“みくりが池”周辺でボーリング調査があって、
西暦3世紀の堆積物からたくさんリンが出てくるそうです。
リンは、人間が排せつしないと出てこないものです。
どうやら3世紀ごろには、長江流域の人たちが船に乗ってわざわざ日本に来て、北陸地方で玉を採って、また中国へ帰っていっていたようなのです。
しょっちゅう来ていたということなんでしょうかね。

まだまだ調査中なのではっきりとは分かりませんが、
往復が3世紀よりもっと前からしていたとすると、
移住先の選択に北陸地方が当然入っていてもおかしくありません。

以上、考古学者の一説ですが、「越の国」のいわれとしてこういう説もあるということです。

この「越の国」のお話は、「石川県に世界遺産を」推進会議が主催して、今年3月に石川県で行われた世界遺産セミナー『神仏習合の源は白山信仰』で安田氏が言われた内容です。

長江文明の人たちは、今も少数民族で中国にいる苗(ミャオ)族らしく、その人たちは日本人と生活様式がよく似ているそうです。

また、『日本書紀』『出雲風土記』『肥前国風土記』に出てくるワニは、中国長江に本当にいたワニの話ではないかと安田氏は推測していました。


長樹さんのメルマガで
> これからもっともっと縄文・弥生時代の文化が研究され、
> さらに翡翠が果たしていた役割が解明されること願ってやみません。

中国の遺跡の玉が糸魚川の翡翠と完全に一致したものがあるのか
どうかは分かりません(調べ切れませんでした)。
浙江省の河姆渡遺跡(かぼといせき)や湖南省の城頭山遺跡(じょうとうざんいせき)など調査で、新たな発見があればなーと期待しています。

では、では、失礼いたします。



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 ふくふくちゃん、興味深いメールをありがとうございます。



 古代の日本列島は、おそらく様々な方面から移住してきた人間が暮らす「多民族列島」であったと推測されます。
 九州南部や太平洋側には、南洋からの移住者や漂流民がいて、北日本にはいわゆるアイヌ民族がいて、日本海側には中国や朝鮮半島から渡ってきた人が大勢いたことでしょう。

 そうした状況があったならば、翡翠に限らず、石のアクセサリーが特定民族の「血筋の証」として、親から子へと受け継がれていった可能性が十分考えられると思います。



 前回、糸魚川翡翠の記事を書くにあたって参考にさせて頂いた

『古代翡翠文化の謎を探る』(学生社)の中で、

 京都大学大学院教授の福井勝義氏が、エチオピア西南部〜スーダン北東部に住む人々の生活を研究した結果が報告されています。


 この付近に住む人々はまだかなり原始的な生活様式を保持しているのですが、興味深いのは、子供が生まれた場合です。
 新しく生まれた子供は一年後にはじめて社会的な名前を与えられ、名付け親が担っていた特定の「色や模様」を引き継ぎます。
 この色や模様は、石のビーズで作った首飾りとして表現され、その子は与えられた首飾りをかけて生きていきます。
 やがて大きくなり、別の子供の名付け親になった時に、自分のもっていた色や模様を石の首飾りとして与えます。

 つまり、石の首飾りをたどることで、その人間の血筋がわかることになります。

 首長には首長としての首飾りがあり、新しい首長に就任する際には儀式があります。その村の本家筋にあたる村に出向いていき、本家の首長が雄牛を一頭犠牲にし、その血で「石を清め」、新しい首長の首にかけて承認儀礼とするそうです。



 日本における翡翠や勾玉は、こうした血筋継承システムとしての意味合いがあったのかもしれません。

 糸魚川の翡翠が単純な交易品であるならば、産出地周辺からの出土量が多く、運搬が面倒な遠い地域ほど少なくなるはずです。
 が、実際はそうではありません。
 むしろ青森や北海道など、特定の地域から集中的に出土しており、地理的に糸魚川に近い新潟北部などではまったく出土していません。

 これはもしかしたら、中国からやってきた「越の国」の人々が、家族や村単位で日本全国に散っていったためかもしれません。
「越の国の人間」としてのアイデンティティ、それを示す翡翠のアクセサリーを身に付けて生きていき、埋葬される際も一緒に墓所に入れられた・・・。


 まだ未確認ですが、もしかしたら秋田からは糸魚川翡翠の遺物は出土していないのではないでしょうか?
 なぜなら、以前テレビでやっていましたが、秋田の方々はDNAを解析していくと源流はロシア系民族である可能性が高く、だからこそ「秋田美人」と言われたりする・・・・という話があります。
 越の国と民族系統が違えば、おそらく糸魚川翡翠とは無縁であることでしょう。


 いずれにせよ、私たちは日本を「単一民族国家」と自然に考えていますが、古代においては多民族列島であったことは間違いないでしょう。
 そうした民族国家の数々を、大和朝廷が統一していく過程で、各民族の神話が習合していき、出雲の国譲りの逸話が残ったり、天皇家の皇位継承を示す三種の神器のひとつに八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が加わったりしたのかもしれません。

 まさしく古代ロマンですね。




 長くなってしまい、失礼致しました。
 それでは今週はこのへんで。


 祈開運!



【今週の開運金言】

「汝の祖先を思い、汝の子孫を思え」

(ジョン・クィンシー・アダムズ 〜第6代アメリカ合衆国大統領)

   



※本メールは、古来よりの言い伝えをもとに構成されていますが、いかなることも保証するものではありません。行動は自己責任においてお願い致します。禁無断転載。
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